[コラム|黄省弼弁理士]ポストモダニズムと知的財産権
  • 登録日 : 2016/09/29
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資本主義社会において個人は自分が創作した有形・無形の創作物から収益を創出し、自分の資本を増殖させることを美徳と思います。創作された無形の生産物あるいは知識と呼ばれるものが持っている波及効果が他の類型の生産物と違って、どれほど強いか我々は既によく知っています。私たちは教育という制度を通じて数多い知識を接して来たし、他の何よりも知識の重要性を信じています。




18世紀啓蒙主義から始まった理性中心主義の時代を近代あるいはモダン(modern)といいます。合理的思考を重視する人間の理性に対する信頼は新しいものを創作するための原動力を提供し、そのような創作物に対する積極的な保護の当為性が逆説されました。その結果、近代時代には中世ベニスで施行された知的財産に関わる制度に対する保護を正当化するための研究が盛んになり、法律に制定され施行されることになります。


 


啓蒙主義以降実存主義を経って、デリダ、フーコーなどに代表されるポストモダニズム時代は我々が反対論理の抑圧による既存体制権力化の誤謬に陥ってはいないかについて根本的な疑問を投げかけます。例えば、ニーチェとフロイトの影響を受けたフーコーは、一般的に知識は権力に抵抗する役割をするとされてきたが、実際に知識と権力は同伴者といいながら、固定された考え方の危険性を力説します。ニーチェのいう権力への意志は、自分が自らの内面の主人になろうとする意志をいうのます。フーコーは知識を権力化して異常を正常の観念に認識するように操作できることを留意しなければならないと主張します。知識と権力は両方とも人間の本能であり、権力は上からの抑圧ではなく、下から生まれる生産といいます。


 


知的財産権の保護の正当性に関する論議は、長年にわたって続いてきています。前向きアプローチはアメリカの経済学者たちによって発展した論理で、限界費用、過少消費、過少生産などを考慮して知的財産権を保護したとき発生される結果などを主な論点にしています。後ろ向きアプローチは義務論的(deontic)アプローチとも呼ばれ、行為そのもの及びそれに伴う関係性を把握し保護の正当性を論じます。ポストモダニスト(Post-modernist)たちは知的財産権に対する根本的な保護制度を批判し、思考を転換することを主張します。ポストモダン的思考はグローバル製薬会社であるモンサントのような種子生産企業の知的財産権力化を論議するとき、斬新なアイディアを提供することができると思います。


 


過去と異なり現代社会に新しく創作される技術は、もうこれ以上の創意的な発想はないという懐疑が広まっています。先行技術調査は過去に現実的に可能でもなかったし、これを行うには多大な費用がかかりました。しかし、最近の先行技術調査は特許出願において選択的ではなく、必須のものになりました。その主な理由は単純に電算化による早い検索のみではありません。即ち、モダニズム下で量産された数多いアイディアの中で自分が考え出したアイディアが既に存在するケースが相当であるということを我々が知っているからです。しかし、その反面、様々な技術を早く検索し、これらを組み合わせて新しい意味を付与することができる時代に暮していることも忘れてはいけません。


 


ポストモダンではもはや新しいものだけ重要なものではありません。新しいものを創作することも難しいです。既に存在しているものに新しい価値を持たせるように組み合わせて結合させえる能力が重要です。モダニズムの思考下で算出された創作物などを組み合わせて效果的で效率的な機能を行えるような組合品を作り上げることも人類の発展に意味があるはずですが、既存の特許制度下でなら特許権侵害の問題は避けられないでしょう。そのため、特許制度の正当性、特許制度の対象、強制実施権などに関する論議が本格化されているのです。


 


ヴァンダナ・シヴァは著書であるバイオパイラシグローバル化による生命と文化の略奪(Biopiracy: the plunder of nature and knowledge)」で知的財産権制度は知識の多様性を破壊するという逆説的な主張を広げます。さらには、特許は自由な交換を妨げるものであり、 バイオパイラシー(生物的海賊行為)が特許という制度を通じて公然に行われるという説得力のある意見を提示します。遺伝子工学が発達するにつれて、特定遺伝子を挿入し新しい特性を持つ生物に関する特許が可能になり、これを通じて遺伝子工学の発展が可能になったことは事実であるが、一方で種子及び種にも1回性作物としての遺伝子組み換えによる生産も可能になったということを認識しなければならないと主張しています。近代社会以降当然のように信じていた知識、また制度に対して絶え間ない疑問を提起し、より良い社会への志向のためのポストモダン的提案の一つであると思います。


 


特許法的に生命体に関する財産権を認めてもらうための正当性は、根本的に他の発明と大差はありません。新しくて特異で自然的には発生しない生命体を遺伝子組み換えによって作ったということを基本とします。しかし、ヴァンダナは遺伝子組み換え生物体が自然に放出されて表れる結果に対する責任者」の問題について論じます。企業は、その生命体が既存に存在していたように全く新しくないように広報しようとする態度を持っているとのことです。また、企業は新しい生命体で特許を受けたにも拘らず、これらが自然的なものであるから安全だと主張しながら、生命工学の安全性に対する論議を最小化することは矛盾ではないかと思います。自然的という概念の構成に対するこのような企業の我田引水式の態度に対する批判も傾聴するに値する根拠は十分です。


 


ヴァンダナは生きている生命体は特許の対象ではないとしています。生物は単純な機械のように扱われることができないものであり、自己組織化(self-organizing)能力を失ってしまうようになるものは生命体ではないということです。また、動植物に対する特許を認める場合、生きている生命体の自らの繁殖及び進化する能力を否定することだと主張します。


 


私的財産が保障される社会の生産力は、そうでない社会のそれと大きな差があります。個人が多大な努力を傾けて創造した知識生産物は保護を受けることが妥当です。しかし、このような保護の正当性認定の根拠をどのように考えるかによって、その保護の範囲、対象、そして保護の制限に対する認識が変わるでしょう。


 


単純論理に基づき、固着化された理論に基づいた知的財産権の付与は、独占と暴力につながりえます。現実的に、グローバル企業は制約分野のエバーグリーニング戦略(evergreening strategy)を作り上げました。知的財産権は動産、不動産と異なり、移動に制約がなく、最も強力な武器となり得ます。よって、知的財産権制度における正当性に対してポストモダニズムを含めた多様な観点からのアプローチは、知的財産権の保護範囲、対象、そして保護の制限を考慮するとき、愼重な判断にお役に立つと考えます。